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加賀 (空母)[かが]
加賀(かが)は、大日本帝国海軍の航空母艦〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.42『航空母艦"加賀 かが" 全要目排水量26,900噸 速力23.0節 備砲20糎砲10門 12糎高角砲12門 起工大正9年7月 竣工昭和3年3月 建造所横須賀海軍工廠}全長217.93米、最大幅31.24米、平均吃水6.50米。本艦は赤城と同様ワシントン條約の結果戰艦から航母に改造されたものである。兵装は赤城と變らない。大正9年7月起工し約9年半後の昭和3年3月やつと竣工をつげたものである。これは中途にして航母に改造を餘儀なくされたにも因るであらうが、一つには當時の航空界が今日への發達途上にあつたので艦の設計等にも急速に決定し得ざる點の多かつたに因つたとも見られる。この艦と赤城とは艦型に於て相似る點が多いのであるが全く異つてゐるのは煙突である。他の航母が申し合せたやうに中部で吐出してゐるのに此の艦のみは殆ど艦尾近くに導いてゐる。蓋しこの方が艦中央部に据ゑられた大砲その他諸計器の爲には良好であらう。』〕。ワシントン海軍軍縮条約の結果建造中止となった加賀型戦艦を改装した大型空母であった〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.116『加賀(かが)|(艦種)航空母艦|(艦名考)國名なり、加賀國に採る|(艦歴)大正9年7月19日神戸川崎造船所に於て起工、昭和3年3月31日横須賀工廠にて竣工。此艦は戰艦(排水量39,900噸)として起工せられ進水を了したるも、華府條約の結果、一旦廃艦することとなり、更に関東大震災後、天城の代艦として大正12年11月19日航空母艦に改造することと爲り、昭和3年春竣工したるものなり。昭和6-7年事變(日支)従軍:同7年2月上海及揚子江方面警備(艦長大佐大西次郎)』〕。太平洋戦争(大東亜戦争)前半においては帝国海軍の主力空母として活躍したが、1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦にて沈没した。 == 艦名の由来 == 加賀の艦名は石川県の旧令制国名加賀国にちなんで命名された〔「献納品」p.9『(石川県知事→海軍次官殿、大正13年3月10日)…右軍艦加賀ハ本県加賀ノ国名ヲ艦名ニ命名セラレタルモノナルヲ以テ…』〕。空母であるにもかかわらず艦名が旧令制国名のままとなっているのは、後述の艦種変更に起因し〔「献納品」p.12、「軍艦加賀へ木彫画額面献納の件」p.3〕、かつ当時は航空母艦の命名に関する明確な規定が無かったためである。航空母艦命名に関して明確な命名標準が設けられたのは昭和8年12月18日付 海軍大臣から侍従長宛文書「海軍大臣官房 官房機密第2417号」、およびそれに対して返信された同年12月19日付 侍従長から海軍大臣宛書簡によってである〔#海軍制度沿革 巻八第十五篇「艦船」、第四章「進水命名本籍」、第二節「命名」、第二項「雑件」の「航空母艦命名手續キニ關スル件」。〕〔#海軍大臣官房『内令提要』第十三類「艦船」、昭和20年1月31日現在、第31画像。〕。日本海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照のこと。艦内神社は白山比咩神社〔北國新聞2010年6月5日(2012年10月9日閲覧) 〕〔「献納品」pp.16,19『(献納)一.加賀国白山比咩神社社殿模型』〕。加賀前田家に連なる前田利為侯爵も、軍艦加賀に加賀国白山の油絵を献納している〔「献納品」pp.26-28〕。なお戦後、この艦名は海上自衛隊のいずも型護衛艦2番艦「かが」に引き継がれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加賀 (空母)」の詳細全文を読む
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